9月6日(土)13:30~15:00 千葉県教育振興財団主催の講演会(入場無料)を聴講した。
(副題は「千葉北部地区の歴史をさぐる」でしたが、もし自分がつけるとしたら「千葉ニュータウンは太古の昔からニュータウンだった」かな、という話です)
千葉県白井市、印西市、船橋市をまたぐ約3000ヘクタールに広がる千葉ニュータウンでは、昭和45年の造成開始とともに始まった遺跡の発掘調査が43年間続き、現在印刷が上がるのを待っている最後の調査報告書(30冊目)をもって発掘調査事業は完了となる。3万年前の旧石器時代から江戸時代までの92の遺跡が発掘された。
「出土遺物公開事業」の一環として「千葉ニュータウンの昔むかし」展が9月21日まで房総のむらで開催されているが、11月には印西市文化ホールと印西市の県立北総花の丘公園にも巡回する(ただし規模は縮小)
同タイトルの講演会が白井市文化会館で行われると聞いて出かけた。
会場には200人くらいの人が集まっていた。
カラー10ページのパンフレットと20ページの講演会要旨の冊子が配布され、主催者側の熱の入れようが感じられた(貴重な資料をいただきました)
開催挨拶の本編のプログラム(研究報告)は下記の通り
1「遺跡の中の石材産地」(旧石器時代):千葉県教育振興財団 山岡磨由子氏
2「千葉ニュータウン周辺における古墳時代の幕あけ」(弥生~古墳時代):白井市郷土資料館 髙花宏行氏
3「印旛郡舩穂郷のすがた」(奈良・平安時代):印旛郡市文化財センター 小牧美知枝氏
どれも一般にもわかりやすく、かつ濃い内容だった。地元の聴講者には聴き慣れた地名が多く出てくるので、より感慨があったのではないか。
写真はフラッシュなしならOKとのアナウンスだったので、スライドも少し撮らせていただいた。
はじめの報告は、自分にとっては「思わぬ驚き」があったので、次回にまとめます。
2番目の報告は、もともと「これを聞きに来た」こともあり、興味深く聞かせていただいた。
そもそも、弥生土器に縄文がついていたり、古墳時代の墳丘(方墳)だが見た目は方形周溝墓だったりすることが、はじめわかりにくいが、多少とも理解できてくると面白くなってくる。
髙花氏の発表では、千葉ニュータウン周辺においては「附加条縄文」を主文様とする土器使用時期までを弥生時代、東京湾沿岸地域の系譜を持つ土器を使用するようになる時期以降を古墳時代として扱っている。
弥生時代後期の土器分布でみると、千葉ニュータウンを含む北総地域は「香取の海」を介した茨城県と同グループに分類され、東京湾沿岸グループ(房総半島南半分を含む)とは分かれる。埼玉西部以西が3つ目のグループとなる。
この土器の違いによる分類は、施設のつくり方(集落に環濠を巡らすか否か)のエリア分けとほぼ一致する。
環濠集落形成の違いは、埼玉西部以西では弥生時代後期ではすでに「多く」、東京湾沿岸では「少なく」、香取の海沿岸では「古墳時代出現期になってから多くなる」
千葉ニュータウンを含む千葉県北西部では、弥生時代後期と古墳時代出現期とで、土器の形式が連続していない。
つまりこの場所の土器は、古墳時代出現期を迎えると、それまで東京湾沿岸地域で使われた壺、甕、鉢、高杯に、東海地方西部からの高杯と器台が加わる構成に変わってしまうそうだ。
ということは・・・
髙花氏のコメントにも出ました。
「千葉ニュータウンは古墳時代もニュータウンだった」
中身の濃い40分の講演の一部のみを取り上げさせていただきました。当方の認識の誤り等もあるかと思いますので、何かありましたらコメントいただければ幸いです。
3つ目のお話も別途載せさせていただきたいと思います。
講師の皆様、貴重なお話をありがとうございました。また関係者のみなさま、貴重な機会を設けていただき感謝いたします。
同じ会場の3階に「白井市郷土資料館」があり、現在開館20周年記念企画展「歴史をひもとく資料たち」が開催されている。
展示品のひとつ、古墳時代初頭の小型壺(千葉ニュータウンの一本桜南遺跡から出土、高さ20cmほど)には、川床に由来する砂鉄が520g納められていたそうだ。(企画展は2014年10月5日まで、入場無料)