墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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「出雲国風土記シンポジウムー古代出雲の実像ー」 @大手町

7/21(月・祝)の14時から、大手町の日経ホールで開催されたシンポジウムを聴講した。主催は島根県・島根県教育委員会で、マスコミ各社が後援。

溝口県知事の挨拶のあと、基調講演。

「出雲国風土記」の特徴と古代出雲世界:東大文学部教授 佐藤信氏

休憩をはさんで、映像をバックにした出雲国風土記の朗読(平野啓子氏)があり、続いて2時間の「報告+パネルディスカッション」

島根県古代文化センターの平石充氏の司会により、佐藤教授に次の3人が加わった。國學院大學文学部教授 新谷尚紀氏、千葉大学文学部准教授 兼岡理恵氏、NPO法人出雲学研究所理事長 藤岡大拙氏。

出雲国風土記について自分は無知同然だったが、一般にもわかりやすい、かつ興味深い、充実した内容だった。

古代の地名地図が載った16頁のレジュメ冊子(博物館で販売なら500円~800円ではないか。表紙は下の写真)も配布され、とても親切。

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内容は近々いずれかのメディアに詳しく載ることと思いますが、多少さわりだけ。

 

・「出雲国風土記(いずものくにふどき)」とは

風土記は、和銅6年(713年)に中央政権が、当時60余りあった諸国に対して命じて作らせた地域の特産や地誌、伝承の報告書で、常陸・出雲・播磨・豊後・肥前の5つのみ現存。

ほぼ完全な形が唯一残る出雲国風土記の巻末には、地元の国造(豪族)の名が編纂者として記載され、地域の風土の情報が細かく記されている。中央から派遣された国司が、地域古老から聞き取って作成した他の4つの風土記とは視点の違いがあるそうだ。

「国引き神話」では、出雲からヤマトへの「国譲り」以前の、出雲における国造りが新羅や隠岐、北陸との交流の中で進んだことが壮大な発想力で描かれている。

 

パネルディスカッションでは、「なぜ国譲りが起こったのか」「なぜ譲った後も出雲の霊力が尊重されたのか」「なぜ譲る前に出雲が力を持っていたのか」等の興味深い話が聞けた(ように思う)

3番目の問いには、新谷氏の「海流が運んだ多様性」「打ち上げられた背黒海へび」の説が面白かった。

 

シンポジウムと離れるが「国引き神話」の説明は下記のサイトがわかりやすい

 http://www1.ttcn.ne.jp/~kitasanbe/a_sub_kunibiki.html

国引きを終えた八束水臣津野命が最後に「意恵!(おゑ!)」と声を上げたので、その場所が意宇(おう)郡となったそうだ。

 

シンポでは出雲大社も、もとは意宇郡にある熊野大社の場所だったという話もあった。

話の流れで後ろのスクリーンに関連写真が映し出されたが、荒神谷遺跡や西谷古墳群の写真もあった。

出雲大社は15年くらい前に訪れたことがあるが、古墳に興味を持つ以前だったので遺跡は素通り。出雲には、他にも加茂岩倉遺跡や妻木晩田遺跡など弥生時代の重要遺跡が数多くあるので、次回はじっくり回りたい。