墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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下総国分寺 下総国分尼寺跡 千葉県市川市

 日曜日の午前、上の子を英検受験会場の千葉商科大学へ車で送っていったついでに、近くの下総国分寺・国分尼寺跡と、芹澤ガーデンギャラリー、須和田遺跡、郭沫若記念館を訪ねた。

 

・下総国分寺 現在も下総国国分寺を継承する真言宗豊山派の「国分寺」が建つ。

仁王門は、鮮やかなオレンジが際立つ。

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迫力の阿形像。

f:id:massneko:20140706091510j:plain40年を経た説明版がきれいな形で残っている。

国分「僧」寺跡とあるのは、国分寺が現存するからだろうか。

「史跡 国分僧寺跡 指定 昭和42年12月27日

天平13年(741年)春、聖武天皇は全国に国分寺建立の詔を発し、一国一寺の建立を指令されました。

下総国では市川に国府がありましたので、ここに国分寺が建立されたのです。その建立年代は、はっきりしませんが、奈良時代であることは確実です。

国分僧寺は過去数回の火災をうけて当時のおもかげはありませんが、発掘調査の結果、法隆寺様式の伽藍配置をもつ金堂・講堂・塔の遺構が発見されています。

昭和48年3月 市川市教育委員会」

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伽藍の基壇の配置図もあってわかりやすい。土地の制約で金堂と塔の中心軸がずれたのか?

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現在の本堂。かつての金堂跡に建っている。左手の植え込みに七重塔の礎石があったはずだが見逃してしまった。

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墓地の中に「講堂跡」の石碑がある。

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この通路の先の位置に七重塔があった。

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市川市教育委員会が発行する「いちかわ時の記憶」(500円、市川歴史博物館で購入)には、発掘調査時の写真が掲載されている。

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人がすっぼり入るような大きな堀立柱の柱穴もあった。

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下総国分寺の北西300mくらいの場所に、下総国分尼寺跡がある。

・下総国分尼寺跡 金堂と講堂の位置が示された原っぱが、住宅に囲まれている。

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詳細な説明板もあった。発掘調査で「尼寺」や「西寺」と書かれた墨書土器が出土している。

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すぐ正面に金堂が、その奥に講堂が並んでいた。

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1軒だけ国分尼寺跡の中に住宅がある。お子さんは史跡を広大な庭として遊べるし、家は大木の日陰になるので羨ましい。大木の根本に「国分尼寺跡」の石碑がある。

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講堂跡は斜めに道が横切っている。

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敷地内には馬頭観音の石碑が並ぶ。古代から往来のある古道だったのだろう。

交通の動力としての馬が、道半ばで倒れたらそれを供養した。馬をもっと多用していた他国の文化ではどうだったのだろう。

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馬頭観音石碑群は、柵で保護されている。

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日曜の午前中なので?誰もいなかった。

市原市の上総国分尼寺跡の方では回廊が復元されている。奈良の寺社を参考にし、当時の工法を取り入れた本格的な復元なので、奈良にいるように錯覚するほど。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2013/06/24/164037

 

同じような復元は難しいだろうが、今の時代、ARを使ったバーチャル展示もできるので、いつか実現させていただきたい。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2014/06/02/100357

 

国分寺には数台の駐車スペースがあるが国分尼寺跡にはなく、道も狭く複雑なので京成線の国府台駅または市川真間駅から歩くことをお勧めします。下総台地の端で雰囲気のある坂道が多いところ。

この国府台(こうのだい)には、他にも古墳(明戸古墳、法皇塚古墳、弘法寺古墳)、弥生時代遺跡(須和田遺跡)、縄文時代遺跡(堀之内貝塚)があり、数千年前から連綿と人が住み続けてきた場所で見所も沢山あるのでぜひに。

明戸古墳、法皇塚古墳

http://massneko.hatenablog.com/entry/2013/07/22/094203

弘法寺古墳

http://massneko.hatenablog.com/entry/2013/12/02/093143

堀之内貝塚

http://massneko.hatenablog.com/entry/2014/06/04/070000

 

つづく。