墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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大勝院 小金城址駅 千葉県松戸市

前回のつづき。

大谷口歴史公園から、台地の端を反時計回りに進み、坂を上りきったところに「大勝院」がある。さきほどの大谷口歴史公園に続く台地上にあり、大きな幼稚園が併設されている。

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山門の左に、詳細な由緒が刻まれた説明板があったが、検索していたら下記の麗澤中学・高等学校のHPの説明文(下記に少し要約)がわかりやすかった。

大勝院は、戦国時代の小金城主だった高城氏が当地に移る前の、根木内城の祈願寺だった。根木内城が手狭になって1537年に当地小金城に移るが、それに伴い大勝院も、城の鬼門にあたる三の丸に移転した。

城は豊臣秀吉の北条征伐に際し落城したが大勝院は残り、今なお土地の人々の篤い帰依を受けている。御本尊は十一面観世音、真言宗豊山派に 属する。

興味深いのは、一部の地図では麗澤高校の敷地に500年前になくなったはずの「大勝院」が残ったままになっていて、「古老」の中には付近の丘陵を大勝山と呼ぶ方もいるとのこと。(google mapでは確認できず)

ちなみに廣池学園のレストランでは「限定販売の特製銘酒」大勝山というブランドの日本酒を供しているそうです!

http://www.hs.reitaku.jp/campus_life/2008072310473199.html 

 

大勝院は、きれいに掃き清められた静かな境内だった。公孫樹の巨木が佇み、白砂の庭園もあった。

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本堂正面に回転式の数珠玉がある。チンと鐘が鳴る工夫もされてあった。

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その後、りゅうてつ(流山電鉄)の小金城址駅から帰った。スマホのGPSがうまく作動せず、現在地がわからなくなったが、踏み切りの鐘の音が聞こえたので、その方向に坂道をくだり、商店街(といってもあまり店がない)を通って駅へ。

廃墟のようなアパート(1階のマツキヨも閉店)があり、壁に「小金城址駅」とあったが、そこも廃墟かと思って通り過ぎてしまった(小金城駅跡に読めてしまった)

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郵便ポストの隣の階段を上がると、改札口跡?を通って、現行の改札口に着いた。

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改札口は跨線橋上にある。そこから見たアパートは、人の住む気配がなかった。

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跨線橋の端から駅舎。橋は結構ゆれた。

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北側、流山駅に向かう方向。

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 手書きの時刻表。早朝から深夜まで活躍している。

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この日の電車は青。前回は流山駅の車庫に入っていた。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2014/05/14/231052

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小金城址駅は上りと下りが待ち合わせする唯一の駅。先に到着した電車の運転手が反対側ホームの発車ベルを押す。

1駅乗って幸谷(こうや)で新松戸駅に渡って帰った。