前回のつづき
資料館を見たあとは房総のむらを出て、101号墳と、最近修繕工事が終わったばかりの「旧学習院初等科正堂」を見学した。
101号墳は岩屋古墳と、駐車場を隔てた反対側にある。
古墳公園の南東端、下の案内図の左端、坂田ヶ池に突き出した舌状台地に位置する。
・龍角古墳群101号古墳 帆立貝形古墳 全長30.5m 高さ3.6m 6世紀前半
房総風土記の丘ガイドブックによれば、つくられた当初は円墳だったが、その後前方部が造られて前方後円墳(帆立貝形古墳)となった。埋葬施設も多いことから長期にわたってつかわれたようだ。
昭和59~61年の調査で埋葬施設4基と多量の埴輪が出土し話題を呼んだ。
埴輪が並ぶと壮観。ただ、お寺で仏像を見るときのような荘厳さとは異なる。
死者を祀る行為の脇役だが、愛嬌が振りまかれている印象を持ってしまう。
以下は「房総の古墳を歩く」より。
この古墳は、調査成果をもとに、墳丘及び埴輪群を築造当初のままに復元したもので、古墳時代人々の見た古墳のようすがよく分かります。
埴輪は、本物より少し小さく作られた強化プラスチック(FRP)製だそうです。
人物埴輪の顔、馬形埴輪の姿…。博物館の展示ケースでは見られない生々としたものと思えませんか。埋葬の儀式が行われた時には荘厳に見えたでしょう。
折角の説明板が、こころない人の行為によって(?)判読困難に。
その後、隣接する旧学習院初等科正堂へ。建物正面の芝生が広大で気持ちが良い。
以前ビールのCM撮影でも使われていた場所。
午前中であれば順光で、白い壁が輝いて見えるはず。
時間も遅かったので他には1組の家族だけ。模型飛行機で楽しそうに遊んでいた。
・旧学習院初等科正堂 重要文化財 下記は房総風土記の丘ガイドブックより
学習院初等科正堂(講堂)として四谷区尾張町(当時)に明治32年築造、昭和12年の新築に伴って下総御料牧場のあった印旛郡遠山村へ移築され小中学校の講堂として使用されたが、昭和48年に成田市から千葉県へ寄贈された。
西洋建築のデザインを取り入れながら日本の伝統的木造建築の技術を用いて造られた貴重な学校建築。
スリッパに履き替えて、中に入ることができる。
正面テラスからの眺め。
建物後ろ側から。
2013年2月から1年以上の期間をかけた補修が終わり、2014年4月に公開されたばかり。
綺麗にペンキを塗り替えられているので、今なら建築当初の雰囲気を味わえる?
建物も気持ちよさそう。
つづく。