前回の本郷の坂は、下記の本に誘われて探訪した。
東京駅の本屋さんの平積みで、日本坂道学会副会長タモリさんの書評に惹かれて買った文庫本。
もとは単行本「江戸の坂 東京・歴史探訪ガイド」として出版したものを人気コースに絞ったそうだ。
坂の辞典ではなく、エリアごとに駅から辿れる坂道散歩ガイドになっていて、港区8、文京区8、新宿区5、千代田区3、目黒区3、その他の区で8で全部で35コースが、わかり易いイラスト地図で紹介している。駅から出発し、ほぼ一筆書きに駅にまで辿れるコースは、エリアを歩き尽くし歴史と地理を身体に馴染ませないとつくれないもの。
表紙の写真が、本郷の「鐙坂」
著者の山野氏は元講談社常務で、「タモリのTOKYO坂道美学入門」のプロデュースもされた方。
著者によれば東京には今でも、江戸時代に命名された坂が約500、明治以降が140ある。
江戸の人口は18世紀初頭には100万人超で世界一であったと推定されるが(Wikipedia)、町人の住む地域(江戸八百八町)以外の武家地や寺社地(こちらが江戸の面積の8割を占める)には町名がつけられていなかったので、坂が人々が目的地に向かうためのランドマークとなり、そこに名前がつくようになったと考えられるそうだ。
海外の都市に行くと、目的地に向かうときに「通りの名前」を頼りに歩く。
日本では(今はスマホだが)、番地を見ながら「郵便局の角を右とか」で建造物を頼っていた。だが建造物のない時代(あっても看板がない時代)には、坂や石碑を頼るしかなかっただろう。
もともと高低差がある台地の端だった、明治維新後も大名屋敷が分割されず残った、火災や震災があっても直ぐに再建されるので地割が改変されにくかった等々、さまざまな理由から「命名された坂」が数多く残っていることは、著者の言われるとおり、「驚異的」なことだと思う。
坂そのものだけでなく、ついた名前も遺産であることを教わった。カバンに携帯して、迷うことも楽しみながら、高低差と歴史を味わってみたい。