墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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菊坂、鐙坂(あぶみざか) @本郷

茗荷谷で研修の機会があった。30分くらい早めに着きそうだったので、丸の内線を本郷三丁目で途中下車して、朝の坂散歩をした。15分で行けるところまで行って戻った。

本郷通りに出て、春日通りとの交差点(本郷3丁目)を渡るとすぐに、本郷通りが少し窪んでいる。

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ブラタモリで有名になった「別れの橋跡」 以下説明板から転載。

別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り

「むかし太田道灌の領地の境目なりしといひ伝ふ。その頃追放の者など此処より放せしと・・・いずれのころにかありし、此辺にて大きなる石を掘出せり、是なんかの別れの橋なりといひ伝へり・・・太田道灌(1432~86)の頃罪人など此処よりおひはなせしかば、ここよりおのがままに別るるの橋といへる儀なりや」と『改撰江戸志』にある。

この前方の本郷通りはややへこんでいる。むかし、加賀屋敷(現東大構内)から小川が流れ、菊坂の谷にそそいでいた。『新撰東京名所図絵』(明治40年刊)には、勧業場本郷館(注・現文京センター)の辺は、地層やや低く、弓形にへこみを印す、其くぼめる所、一条の小渠、上に橋を架し、別れの橋といひきとぞ」とある。

江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。追放された人がふりかえりながら去ったから見返り坂といわれた。今雑踏の本郷通りに立って500年の歴史の重みを感じる。

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そして、そのすぐ先を左斜め前に下りていくのが菊坂。傾斜はゆるい。

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曲がってすぐの案内板。周辺には樋口一葉ゆかりの場所が多くあるようだ。

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菊坂は、ゆるく左右にカーブしながら下っていく(写真は、途中で振り返った上り)

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途中にはマンションの建設現場も。

61戸が入る、この場所にしては大型物件。

http://s-hongo.jp/concept/index.html

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坂下まで行って、菊坂と平行して走る小道に下りて引き返す。川があったのはこちら側だろう。

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右へ入ると路地が多く、入り組んでいる。

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そのまま行くとすぐに石壁につきあたる。

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石壁に沿って本郷3丁目方向に歩いていくと、鐙坂となった。

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名前の由来は、いくつかあるようだ。

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鐙坂下に銭湯「菊水湯」があった。珍しい道路標識。

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谷底のような場所から煙突が聳える。

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鐙坂を上る。短い坂だが、途中に何本も横にはいっていく小道がある。

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門があるから私有地だろうが先に続いているようにもみえる。

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坂の途中から振り返ったところ。

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坂を上りきったところ。

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坂を上りきると、文京区シビックセンターも見えた。

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もう一度坂を下りて、菊坂と平行する小道に戻る。2mくらいの高低差がある。

風情のある木造の建物。

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あじさいの綺麗な石畳の小道。

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金田一京助・春彦の旧居跡があった。

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宮沢賢治が大正10年1月~8月まで過ごした場所の跡も。

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文字通り、「通り一遍」歩いただけだったが、充実した30分を過ごせた。