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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

国史跡 遠見塚古墳 宮城県仙台市

宮城県の古墳、寺社、遺跡

せんだいメディアテークから路線バス「遠見塚・霞の目営業所」行きに乗り3、40分で遠見塚(とおみづか)に到着。国道4号線(バイパス)に出て300mくらい歩くと、道路に面して古墳公園があった。前方部が道路にかかるので、道路の歩道部分がそこを避けて変形している。

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公園入り口。

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・国指定史跡 遠見塚古墳 前方後円墳 全長110m 4世紀末~5世紀初め

「被葬者は当時、すでに強力な政治・経済力をもち、畿内との関係を保ちながら、広く仙台平野の王として君臨していたことを示す遺跡である」

古さで東北2位、規模で東北3位とあるが、Wikipeddiaでは大きさは5番目とある。

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英文も転載します。(2ヶ所、formをfromに直しました)

Nationally Designated Historical Site

TOMIZUKA TUMULUS(Burial Mound)

In the middle of the Minami-Koizumi archeological site(300 B.C.~600A.D.) in the center of the Sendai plain, is a 110 meter-long mound. This mound, Zenpo-koenfun, is a key-hole shaped tumulus, which is the third largest mound in the Tohoku area.

Judging from its form, construction, and from items dug out of the mound, it may be considered to date from around the end of the 4th century to the beginning of the 5th century. This makes it the second oldest tumulus in the Tohoku area.

It is a relic that shows a lord of that time reigning over a wide area of the Sendai Plain, having established strong political and economic power whilst maintaining relations with Western Japan.

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30年ほど前に復元工事が行われている。

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古墳主体部の構造(この板は、はがれていて、立てかけられていた)

「後円部中央に、約11m四方の墓壙が掘られてあり、その中に粘土でくるまれた木棺(粘土槨)が2基確認された。また、この墓壙の南東から前方部の方へ、しみこんだ雨水を流す排水溝(河原石がつまっていた)が造られていた」

図面(写真?)の方は判読できず。

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近くの古墳の案内もあった。行ってみたいが次の機会に。

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早速近づいてみる。その姿に、思わず「おおっ」と声が出てしまう。

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前方部の右下側の隅。国道4号にかかっている。

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前方部から後円部。

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広い墳丘。

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後円部から前方部。左右対称でなく、前方部の左先が削られているのがわかる。

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広い後円部。

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はるか遠くに山並みも見える。海岸までは5,6kmの位置になる。

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後円部右上方向、周溝部分も広く整備されている。公園整備時には周溝部に白い玉砂利が敷かれていたようだが、今は同じ緑。

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後円部上から見たくびれ部。

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後円部は2段になっている。

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上記の場所から反対側前方部方向。

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後円部の右上、周溝の外から。

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後円部の真上から。

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後円部の右斜面から前方部方向。

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もう一度後円部に上って前方部右側面方向。

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国道4号を隔てて、陸自の駐屯地がある。ヘリコプターが行き来していた。

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古墳にコーフン」状態のひとときだった。

月曜の午後で他に誰もいなかったが、背広革靴のおじさんが写真を取りまくっていたのは異様だったと思います。

バスが30分に一本だったので間に合うように戻ったら、また時間通りに来た。メディアテークも遠見塚も起点の次のバス停だった。

仙台駅に戻り、もうひとつ古墳を探訪した。

続く。

 

以下、 Wikipediaの転載。

仙台平野の中に立地し、国道4号仙台バイパスに面する。古墳のそばに竪穴集落遺跡があり、南小泉遺跡と呼ばれる。

広瀬川名取川をはさんで南方10キロメートルには全長168メートルの雷神山古墳がある。遠見塚古墳と雷神山古墳は、宮城県最大の古墳であるとともに、大型前方後円墳の限界線に位置する古墳でもある。 この二つの大型古墳の関係は、遠見山古墳の首長は仙台平野を支配し、雷神山古墳の首長はその後を受けてさらに広い範囲を支配したと考えられている。

東北地方で5番目の大きさである。全長110メートル、後円部径63メートル、前方部幅37メートル、長さ47メートル、後円部高さ6.5メートル、前方部高さ2.5メートル、後円部は二段築成。伊藤信雄はアメリカ占領軍の古墳削平に立ち会い、主体部は約5、6メートル規模の舟形状の粘土槨であったとしている。内部には2つの粘土槨があり、中に割竹形木棺が納められていた。後円部の内部主体の構造は、一辺約数メートル、深さ約1.5メートルの竪穴墓壙をつくり、東西に二基の粘土槨を据え、排水溝を両方の槨の南端に作り、西から東へ流れるようにしている。その上に盛り土を方形に覆っている。

副葬品は、東槨からのみ小玉4点、管玉1点、竪櫛20点が出土している。

周囲には濠がめぐらされていたが、その幅は一定ではない。葺石、埴輪はともなわない。

古墳の外から土師器がみつかっており、7世紀頃までこの場所で祭祀が行われたらしい形跡があるが古墳との関連は不詳である。

古墳は、一時畑などに利用されていた時期もあった。第2次世界大戦後に日本を占領したアメリカ軍が、1947年(昭和22年)に霞目飛行場拡張工事に使う土を取るために、後円部の半分を破壊した。

1968年(昭和43年)に発掘調査が行われ、同年11月8日に墳丘および周濠の大部分が国の史跡に指定されて、公園として保存・整備された。1975年(昭和50年)、仙台市教育委員会が環境整備計画にともなう確認調査をおこなった結果、周囲の周濠が確認され、西方で幅約20メートル、東方ではさらに幅が広がっていることが判明した。この結果にもとづき、1979年(昭和54年)12月、後円部西方で周濠にかかる未指定部分があらたに追加指定された。

隣に遠見塚小学校があり、出土品を保存している。