前回からの続き。
花盛りの梨園を過ぎ、宮内というバス停に至ると、けやきの巨木があった。
手前の木には案内板があった。七百余所神社の参道の名残りだそうだ。
枝の四方に大きく広がっている。雨宿りも充分できそうだ。
けやき横の民家の庭には、気になる土盛りがあった。
武家屋敷のような門構えの家も。
その先、道路の脇に神社の入り口があった。
・七百余所神社(しちひゃくよしょじんじゃ) 難読だが、かまずに発音するのも難しい。
いわれを後から検索したら、いくつかのブログに「七百余の神々を祀るから」と「米本城落城の落ち武者七百余人が自刃したから」と書かれていた。下記の「新川風景」というブログがこの周辺の歴史地理に詳しい。
http://park17.wakwak.com/~aoki/shinkawa/shinkawa07/shinkawa07-9.htm
700人もいたら充分に戦力立て直しが出来たように思うし、そんなに大量に自刃したらもっと有名な事件として語り継がれているはずだと思うのですがどうでしょう。
門柱は民家のようだが、中に立派な鳥居が立つ。
9つの部屋がある末社もある。扉が開くときもあるのだろうか。
拝殿は明治32年の建立。
本殿は明治16年。屋根下の木彫りが見事。
狛犬は目がアニメ的?
案内板によると、1/15と10/9に神楽が舞われる(市指定無形民俗文化財)
1月には、神主による「湯立て神事」があり、熊笹の束を熱湯に浸して体に振り掛けるそうだ。他の神社でも行われている豊作を祈る行事だが、日本史の教科書にある「盟神探湯(くがたち)」(熱湯に手を入れさせ火傷を負うかどうかで判定する呪術的な裁判法)との関係もあるようだ。
下記がyou tubeにあった。「湯立て」は最後の2分くらいのところ。
この日は静かな境内。地面には竹箒で掃き清められた跡が残る。
境内には、庚申塚も並んでいた。
一旦鳥居から出て、小道をはさんだ向かいの公園にある古墳へ。
案内板がなく詳細は不明で、円墳のようだが前方部もあるような印象だった。
墳丘の高さは2,3mくらいか。
墳丘からの眺めはない。うっすら向こうの緑が見える。
墳丘上に3本の巨木が聳える。左の杉の木は幹周り4m近い市指定樹木。
前方部(?)から墳頂。
古墳を見たあとは、神社と古墳公園の間の気持ちの良い小道を下っていった。
途中に魅力的な石段があったので登ってみる。
石段上もただの小道だったが、見晴らしの良い場所だった。新川にかかる橋を野球部男子の隊列が30人くらいやってきた。ピンボケになってしまった。
続く。(飯綱神社へ