墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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姫塚古墳、稲荷山古墳 須恵国の古墳⑧ 千葉県富津市

九条塚古墳から200m、県道158号との分岐にある看板(前回掲示)

次の稲荷山古墳まで1.6km。帰りの電車も一時間に一本なので、遅れないようにと急ぎ足になる。 

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水を張った田の向こうに稲荷山古墳。

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途中、畑の向こうに案内板が! しかし道がない。畑の端を慎重に歩く。

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・姫塚古墳 前方後円墳 (元の)墳丘61m 周溝82m 6世紀後葉

後円部の石室周辺部分のみ残存。昭和13年に農地造成に伴う採土で石室が露出、横穴式石室が確認されたそうだ。墳丘主軸や位置関係から稲荷山古墳と系譜関係が強いとのこと。

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案内板の後ろは、ただの藪ではなく、わずかに残った墳丘があった。

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今は小島のようだが、かつては手前まで前方部が広がっていたはず。

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「房総の古墳を歩く」によると、稲荷山古墳は消防署のあるところを右折。すでに移転していたが建物はかろうじて残っていた。

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民家の間の道を進むと、前方部のすそに出た。大きな周溝が残っていて迫力がある。

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親切にも、くびれ部に向かう堤が整備されていた。

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・稲荷山古墳 前方後円墳 墳丘106m 周溝202m 6世紀後葉

横穴式石室があるが内部は未発掘だそうだ。「墳丘部には隙間なく円筒埴輪列のめぐらされていることが確認されており、埴輪には赤や白に彩色されたものも認められる」そうだ。

この看板自体もきれいに残っている。(手書きに味がある)

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堤の上から後円部。

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墳丘には結構木々が茂っている。こちらは前方部。

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ここも前方部。

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案内板にあるように、「かつては墳丘上に民家が建てられていたため、括れ部部分は大きく削れて」おり、井戸の跡、流し台の跡があった。堤の道は民家へのアプローチだった。

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後円部には、広場のようなスペースもあった。

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しかし、やはり木々が茂っており、眺望はない。

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後円部の北東側から。

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民家の間、ゆるくカーブする道を歩いていく。迷いそうだったので、畑の手入れをしていた人に駅までの道を確認する。「この道でOK。だけど25分はかかるよ」と時間まで教えてくれた。

辻にあった「厳島神社」の公孫樹は堂々としていた。

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途中で国道16号に出た。国道沿いに、富津市立青堀小学校があった。デザインが面白い。

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続く。