墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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利根運河

前回の続き

「運河」に行ったのは、ちょうど一週間前(3/15)の日経新聞朝刊の利根運河記事がきっかけだった。

39面、首都圏まるかじりというシリーズの「明治の大動脈 利根運河」

明治の半ばにオランダ人の設計・監督のもとに延べ200万人以上で8km全通させたこと、鉄道や自動車へと物流が交代するなかで戦前までは運河の機能を果たしていたということが詳しく紹介されていた。

前々から利根運河は気になっていて、未探訪の古墳群もあるのでここを選んだ。

 

「運河駅」を出たところに、「オランダ遺産 利根運河」の案内図があった。

左端に江戸川、右端に利根川が、しっかり載っている。

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ふれあい橋から東方向の眺め。現在の水量は少ないが、かつては蒸気船が行き交った水路。f:id:massneko:20140322140137j:plain

 

日経紙面にも掲載されていた、蒸気船運航時代の写真(Wikipedia 利根運河)

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/76/Tone_Canal_in_1915.JPG

 

水面まで降りてみた。水深は数10センチ程度、東から西の江戸川方向に流れていた。

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振り返ると、東武野田線の単線の橋梁。野田線は運河から春日部までは単線。

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空気は少しひんやりしていたが、日差しがあり、風はゆるやかな追い風で、古墳探訪の前に利根川まで行けるのではと思って、距離も確かめずに運河沿いを東に歩き出してしまった。

散歩、犬の散歩、サイクリングなどを楽しんでいる人がいたが、それほど多くはなかった。

 

「運河駅」のあたりは、台地を掘り込んだ形だが、土手を盛っている所も多くある。散策路の位置が高くて眺めがよく、運河の外側の自然環境も保全されているのでとても気持ちがよい。

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理窓公園の梅林。東京理科大学が昭和56年に開校100年を記念して整備した公園で野鳥の楽園にもなっていた。(川面でコウノトリを見た)

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途中の国道16号まで2kmくらい。そこをくぐってさらに進むと、散歩している人もいなくなった。

遠くに水門が見えて来たので、そこまで行こうと足を速める。

 

運河沿いには車道がない(一部のみ)人と自転車の専用道しかない。そのせいか、運河の内外でゴミをみかけることはなく、本当に気持ちのいい散歩になった。(もちろん地域の方の努力もあると思うが、ゴミがあったのは県道の橋の下だけだった)

左(北)は野田市。右(南)は柏市。

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水門は全開していた。

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水門を越えたところにひっそりと「煉瓦造りの樋管」があったが、降りて行く道もなく、うまく撮れなかった。

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案内板の解説を見ると、そばで見たいが・・・

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水門の先の風景。つくばエクスプレスや常磐自動車道が見えた。まだ利根川には到達していないが、さらに1kmありそうなのでここで折り返す。行きと反対の土手上を戻る。

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利根運河は「江戸川河川事務所」の管理下になっていた。

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運河の土手から筑波山の姿も見えた。

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柏高校の通用門の前にある、こころもとない歩道橋。

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東京理科大がまた見えて来たあたりに「眺望の丘」があった。運河が大きくカーブしているところの先端で、土手が高くなっているところにベンチが並んでいた。

前出の新聞記事で、記者が最初に来た時は緩やかなS字カーブを描くように蛇行する川が運河だと気づかなかったとあったが、実際に気持ちのいいカーブを描く。もし直線だったら先まで行ってみようと言う気にならなかっただろう。

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この場所には、駅前のものより詳しい案内板があった。

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東深井古墳の森も、写真入りで説明されていた(ここでは高さ0.7m〜3mとある)

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眺めの丘から一旦運河を離れて古墳の森へ。その後、運河駅に戻り、江戸川方向に少しいってみた。このあたりは運河の両岸が流山市。ちょっと北から野田市。市の境は運河が通る以前からのものなのだろう。

流山市側の運河は「親水公園」のようになっていた。小さな「利根運河交流館」もあり、17時閉館前に入って「まるごとガイド歩いてみよう利根運河」を買った。

下記の舟運の変遷のパネルがわかりやすかった。

18世紀江戸時代前期まで房総半島を回る航路はあったものの、銚子から先は黒潮の流れに逆らって南下するのは大変で、江戸時代に利根川を遡り江戸川を下る航路が開発された。家康が利根川東遷を行った目的は、東京湾に流れ込んで関東東部を湿地帯にしていた利根川・渡良瀬川を、チーバ君の鼻の先を掘って東に流路を開き、関東を豊かな平耕作地帯にすることと同時に、東北からの物流路を拓くことにあった。

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前出の記事では、「江戸後期は浅間山の噴火などで利根川に浅瀬が増え、舟が航行しにくい場所もあった」という野田市郷博の学芸員の興味深い話も紹介されていた。

流山という地名にも、上州の赤城山が崩れて流れ着き、高さ10mの山ができたという伝説があるそうだ。(流山市の赤城神社)

 

このあたり、土手上の散歩道にも、歴史解説や石碑の案内板などが並ぶ。

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利根運河建設に貢献したオランダ人ムルデルのレリーフもきれいに残っている。

(オランダ語や英語もあれば、母国の人も興味を示すのではないか・・・)

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親水公園から江戸川方向。

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同じ場所から、運河駅、利根川方向。

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土手の桜並木。再来週ぐらいは見事な満開ではないか。

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かつて、この水路も通った「通運丸」のペーパークラフト。

去年の春、品川の物流博物館にいったときに、200円で販売していた。

細かくて作るのが大変(とくに手すりの部分)だったが、案外よくできて気に入っている。「利根運河交流館」にも完成品が飾ってあった。

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最後にもらったパンフレットで、レンタサイクルがあることや、江戸川方面に少し歩くと酒造り、味噌造りの店があったことを知った。また来なければ。

 

実際に訪れてみて、利根運河は、重要な産業遺産であると同時に自然遺産であることがよくわかった。

「歴史は河川でつくられる」ことを改めて教わった。