墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

姉崎二子塚古墳 姉崎神社 大覚寺山古墳 千葉市埋蔵文化財調査センター

2013/4/28 姉崎二子塚古墳、千葉市大覚寺山古墳等

妻も子供たちもそれぞれ用事があり、それならばと昼前に一人で電車に乗る。

内房線の五井の一つ先が姉ヶ崎。五井駅では小湊鉄道が見られた。

蘇我を過ぎると田んぼがちらほら見えるようになり、五井を過ぎると水を張った田が広がる。左に島穴神社を過ぎると姉ヶ崎駅。

 

姉崎二子塚古墳 全長114m、後円部高9.5m、前方部高8.5m、5世紀後葉

駅前のイトーヨーカドーを過ぎて10分くらい歩くと、住宅の間から二子塚古墳がにょっきり出てきた。くびれ部裾に「市文化財」の石碑があり、横に小道があって登れる。格好のいい桜の木があって花見時は賑わいそう。この日は他に誰もいなかったが。

f:id:massneko:20130427123921j:plain

 

後円部から前方部の眺め

f:id:massneko:20130427124056j:plain

右下は市原市の基準点。遠くに工業地帯の煙突が並んでいた。

 

ここで下の子からスマホに着信が。サッカー練習から一人で家に帰ってきたと。昼ごはんを用意しておけばよかった。

電波の状況がいまいちで大きな声で電話してしまった。近所迷惑すみませんでした。

 

姉﨑神社

その後、姉埼神社を目指す。スマホGPSがとても役にたった。

台地の方に向かうと「ぼらぎ坂」。右に台地に沿って回り込むと、湧水の水くみ場があり、そばの石段を登ると神社正面に出た。

スマホカメラは水平を合わせるのが難しい。

f:id:massneko:20130427130203j:plain

 

以下Wikipediaより。

”『古事記』・『日本書紀』によれば、景行天皇40年、日本武尊が東征の際、走水の海(浦賀水道)で暴風雨に遭ったが妃の弟橘姫の犠牲によって上総に上陸することができた。社伝では、日本武尊が当社鎮座地の宮山台で弟橘姫をしのび、風の神である支那斗弁命を祀ったのが当社の始まりと伝える”

 

近辺には松の木がない。そのわけもWikipediaより。

”あるとき支那斗弁命が、出かけたきり(旅に出たきり、とも)いつ帰ってくるかわからない志那都比古尊を思い、「待つのはつらい」と嘆いたことから、「待つ」に通じる「松」が当地では忌まれるようになった”

 

側面も立派な社殿。昔は流鏑馬も行われていたようだ。

f:id:massneko:20130427130526j:plain

 

すぐそばに姉﨑古墳があったのを見落とした。また家族で来よう。

 

姉ケ崎駅に歩いて戻る途中、もりそばを食す。おおもり700円。

f:id:massneko:20130427133334j:plain

 

姉ケ崎駅から3つ戻って、蘇我のひとつ手前、浜野駅で降りる。

大覚寺山古墳まで30分強とスマホに出たので歩いた。平地から台地に上がる道。

田んぼではもう田植えが始まっていた。台地を登ると畑。その中の細い小道を右に左にいくとすぐに千葉市埋蔵文化財調査センターに出た。

展示室は結構広い2部屋。係の人が電気をつけてくれたのでじっくり見る。

鎌倉時代の出土物「権(棹秤のおもり)」というのをはじめて知った。

権の力をにぎるから権力、権から得る利益だから権利

f:id:massneko:20130427144539j:plain

 

すぐわきに、大覚寺山古墳。全長63m、4世紀後半とある。

f:id:massneko:20130427145509j:plain

 

周りを柵がめぐっているが、公園になっていて入口は後円部の高いところ。

周囲に木があるので、住宅地の真ん中であることを忘れるほど。

マウントの上は気持ちがいい。お墓の上だけど。

f:id:massneko:20130427145704j:plain

 

前方部の先に小さな木立があって、藤の花が満開だった。

花に近づくと、ほんのりよい香り。

f:id:massneko:20130427145802j:plain

 

学園台駅(京成千原線)に向かう。

千葉明徳高校の中を通れば早かったが、周りを巡って駅前のつづら坂の歩道橋を上った。

 

せっかく千葉市に来たので、千葉中央駅で降りて、千葉市美術館へ。

「仏像半島 ―房総の美しき仏たち―」展を見る。

龍角寺の白鳳の薬師如来、那古寺の千手観音にお会いできました。

他にも沢山。ちょっとくせのある、しかし力と魅力のある仏様たちでした。

千葉県なかなかやる。

足が棒になったけど充実した1日となりました。