千葉県の寺社、遺跡
前回のつづき。 常夜灯を見た後に、再び権現道、行徳街道へ戻った。 教信寺 こちらも権現道沿いにある。2階に上がって本堂という形。 1570年開創。戦前まで信楽寺(しんぎょうじ)として残ってきたものの昭和20年の空襲で堂宇すべて焼失、昭和28年に教善寺…
前回のつづき。 行徳街道の写真を撮り忘れたので、ストリートビューから。 「笹屋うどん」あたりから南西方向。道は正面奥で鍵の手に曲がる(スマホで見ると画面が曲がる。地元発見伝の機能、復活していただけたら嬉しいです) 右への路地が何本もあり、すぐ…
前回の、行徳・徳願寺のそばの権現道を入ってのつづき。 徳願寺の江戸時代の様子は「江戸名所図会」にも描かれている。 寺域の左端の四辻はかつては橋だったことがわかる。左に斜めに走るのが行徳街道。 権現道は橋のかかる小川と行徳街道との中間を並行する…
前回のつづき。 江戸川の橋を往復したあとは市川市の行徳・妙典地区の寺社を巡った。下記は昨春に行徳界隈を散歩した時に徳願寺でいただいた(記憶が曖昧ですが)小冊子「ぎょうとく」に掲載されていた絵地図。 写真では見にくいが寺社の集中度が高いことは…
前回のつづき。 本殿西側の鳥居から入った船橋大神宮の境内。左は神輿庫。 上記の写真の右に、すぐ本殿がある。下は神門でその先が拝殿となるが、お賽銭箱は門の下にあったので、こちらで拝ませていただいた。 下記は意富比(おおひ)神社、通称船橋大神宮の…
前回のつづき。 市原埋文センターに山倉1号墳の発掘調査時の写真があった。 場所は山倉ダムのすぐ西側、国道297号・大多喜街道沿い。 昭和49年当時までは道路にもぎりぎりかからずに残っていたが、調査後に削平され、今は住宅が立ち並んでいて跡形もない。 …
前回のつづき。 見たかった場所は回れたので自転車を返しに西口へ向かったが、時間があったので市街や港を徘徊した。 前に木更津アウトレットに立ち寄ったときにもらった「ぶらり木更津まち歩き」というパンフレットが役に立った(観光案内所は西口駅前にも…
前回のつづき。 高柳銚子塚古墳を見たあとに、1.5kmほど東南東にある浅間神社(浅間古墳)を訪ねた。 変速機付きママチャリでグイグイ進むと、緑の盛り上がりが見えてきた。 墳丘上には神社があった。参道は墳丘の南東の畑側に面している。 今年初めて見た彼…
9月6日の講演会の3番目の研究報告 「印旛郡舩穂郷のすがた」(奈良・平安時代):印旛郡市文化財センター 小牧美知枝氏 千葉ニュータウン造成に伴う発掘調査では、奈良・平安時代の遺跡も多数発掘されたが、これだけの広範囲がまとまって調査され、その全…
見出しに初めて動詞を(主語と述語を)いれました。 前回のつづき、9/6の白井市文化会館にての講演会「千葉ニュータウンの昔むかし」の最初の研究報告、千葉県教育振興財団の山岡磨由子氏による「遺跡の中の石材産地」、3万年前の日常を想像する話を紹介しま…
常設展を見た後に、企画展の一部屋にはいった。 入口に掲げられた「ごあいさつ」 「そして、貝塚は守られた」の展示では、加曽利貝塚の消滅の危機を救った先人の努力が、当時の写真や新聞記事とともに紹介されていた。 「普段見られない記録類」出土状況が方…
国内最大級の貝塚である「加曽利貝塚」には2年程前の晩秋に家族で訪ねたが、博物館は休館日だった。リニューアルのために8月から当面の間は閉館するというニュースを見て、日曜日の午後に再訪した。 <a href="http://www.sankei.com/region/news/140602/r…
3連休初日の土曜日、上の子のバレーボールの試合を応援しに、市川大野駅の近くの中学校へ行った。中学3年としての引退試合、ということは行ってからわかったこと。 実は、これまで一度も応援に行ったことがなかった。 会場が市川五中だった。 着いたときは2…
国分寺台を徘徊した後も時間があったので、少し南のエリアを回った。 島穴神社(しまあなじんじゃ) 以前、姉埼神社を訪ねたときに「境内に松の木がなく、氏子も門松を飾らない」、なぜなら「祭神の支那斗弁命(しなとべのみこと:女性)が、島穴神社の祭神…
諏訪台古墳群は、神門5号墳の説明板地図にも載っていた。神門古墳群より少し南の台地の先端、上下諏訪神社の境内にある。 社殿の裏の入口、普通の住宅地エリアから参詣した。 社殿に向かって左右それぞれに、墳丘と思われる盛り上がりがあった。 古墳の特定…
神門(ごうど)5号墳は上総国分寺の寺域の隣にある。 いちはら埋文講座で触れられたように、あとから造られた国分寺が墳丘を避けた経緯がある。 低地に向かって降りていく斜面に造られており、前方部が斜面の下、後円部が斜面の上に造られている。 下側の道…
国分尼寺跡の後は、国分寺へ。ここは中台(なかで)遺跡でもある。 駐車場と道を挟んで巨大な貝柱が並んだような西門の跡がある。 説明版には西門発掘時の写真もあった。 「西門は、金堂と講堂の間の西方に位置し、伽藍地の西側の塀に開いていた門です。平成…
埋文センター見学の後、せっかく市原に来たので、いくつかの遺跡・古墳を巡った。 まずは上総国分尼寺跡へ。 はじめに「史跡上総国分尼寺跡展示館」に入る。入館無料だが立派な施設で、大きなジオラマを使いながら当初の国分尼寺の姿を丁寧に解説していただ…
前回のつづき。 国分寺・国分尼寺の次は、須和田遺跡を初探訪。その前に、遺跡入口手前にある芳澤(よしざわ)ガーデンギャラリーへ立ち寄った。ここは数台停められる駐車場があるが「車での来館はご遠慮ください」とあった。 平成14年に市川市の市制執行70…
日曜日の午前、上の子を英検受験会場の千葉商科大学へ車で送っていったついでに、近くの下総国分寺・国分尼寺跡と、芹澤ガーデンギャラリー、須和田遺跡、郭沫若記念館を訪ねた。 ・下総国分寺 現在も下総国国分寺を継承する真言宗豊山派の「国分寺」が建つ…
前回のつづき。 大谷口歴史公園から、台地の端を反時計回りに進み、坂を上りきったところに「大勝院」がある。さきほどの大谷口歴史公園に続く台地上にあり、大きな幼稚園が併設されている。 山門の左に、詳細な由緒が刻まれた説明板があったが、検索してい…
前回のつづき。 本土寺参道の信号から、2車線の通りを下っていくと、左手に木が茂る台地が見えてくる。台地の端の道を歩いていくと、大谷口(おおやぐち)歴史公園の入口があった。 0.7ha(サッカー場1面ほど)と公園自体は広くはないが、千葉県最大級の中世…
日曜日の午後、当初は新松戸郷土資料館とセットで訪ねようと思ったが、そこは昨年3月に閉鎖していたことが途中でわかったので直接本土寺(ほんどじ)へ向かった。 常磐線北小金駅の北口から商店街を北に向かうと、大木の連なる並木の参道が見えてくる。くず…
とても暑い休日。子供の学校に行って用事を済ませた後、ついでに近くの博物館を再訪した。 堀之内貝塚がある丘にある市川考古博物館。 博物館入口横からは遠くまで見渡せる。 博物館正面の広場。前回来た時は3月で芝生に座れるような感じだったが、今回は草…
前回の続き。 端正な茅葺薬師堂を見た後に、本日の目的地である飯郷作遺跡(いごさくいせき)へ向かった。 「房総の古墳を歩く」にあったが未探訪だったところ。 http://www.haniwakan.com/kenkyu/boso/sakura.html 遺跡は佐倉西高校の校内にある。 下記の、…
前回の続き。 印旛歴史民俗資料館を出てすぐのところに、「重要文化財 泉福寺薬師堂」という気になる案内板があった。そのまま宗像小学校の横を回りこんでいくと、お寺の山門の前に出た。 注連縄が、横一直線にピンと張られている。 正面に新しい本堂。 左に…
5/10の午後、子供と一緒に外出。いちはらアートミックスが気に入ったようで、前回行けなかったところを見たいと言うので早速出発。東関道、千葉外房有料道路、圏央道を乗り継いで、市原鶴舞ICで降り、月出工舎を目指す。 が、その前に、前回来た折に、道路沿…
道作古墳を訪ねたあと、南下して印西市立印旛歴史民俗資料館へ向かった。 が、休館日だった。下調べ不足。土日は開館だが、祝日と月曜が休み。 http://www.chiba-web.com/chibahaku/91/index.html 残念だったが、駐車場のとなりの墓地からの眺めはよかった。…
滑河駅前の道を南下する。大きな鳥居のある坂道を上り、水田が見渡せる場所で小道に入り、田んぼの水面を一直線に横切る道を進んだ。正面少し左の丘の上が下総公民館で、公民館に向かい合うようにして「下総歴史民俗資料館」があった。 下総公民館の方にはガ…
公津原再訪のついでに、JR成田線の滑河(なめがわ、成田から2駅先)にある下総歴史民俗資料館へと向かった。成田駅で時刻表を見たら40分後だったので、駅界隈を歩いてみた。 駅を出てすぐ左手に広場のような不思議な空間があった。祠や大きな石碑が並び立つ…