墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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大塚古墳 千葉県千葉市若葉区みつわ台

前回の物井駅から2駅千葉駅側に戻った都賀(つが)駅で千葉都市モノレールに乗り換える。

1駅目の「みつわ台」に大塚古墳の印があった。

 

駅の案内板に古墳の表示が(現在位置の左下)

 

駅を出ると目の前が墳丘。金網フェンスは三重。

 

ズームで。 

 

北東・北西側は道路で掘り下げられ、見上げるような立地。移築ではないということは、街づくりにおいてこの墳丘を保全する優先順位が高かったということだろう。

 

読むには高い位置にある説明板。

大塚と周辺の遺跡
所在地:千葉市若葉区みつわ台
この古墳は「大塚」と呼ばれている古墳です。都川の支流である葭川(よしかわ)流域の、東寺山支谷と殿台支谷にはさまれた標高約29mの台地上に位置しています。発掘調査が行われていないので、古墳の形態や築造時期など、正確なことはわかっていません。
この周辺の地域には、古墳時代の集落跡が検出されている西前原遺跡や稲毛台遺跡、海老(かいろう)遺跡などが所在します。また、駒形遺跡、戸張作遺跡、海老遺跡、石神遺跡などには多くの古墳があります。この大塚もこういった遺跡を背景として築造された古墳の一つと考えられています。
平成30年12月 千葉市教育委員会

 

地図の部分のアップ。元は台地から伸びる尾根の最高地点に築かれていたはず。

 

南側から。

 

時計回りに巡る。

 

裾の部分で木の根が交錯。

 

ズームすると穴と石材的なものが。早めの調査を期待します。

 

フェンスの間の狭いルート。

 

墳丘の藤。

 

フェンスは円形に廻っていた。

 

年季の入った注意看板。

 

隣接する公園には藤棚があった。

香取神社~大篠塚西台古墳群(?) 千葉県四街道市長岡・佐倉市山王

前回の物井古墳広場の辺りから大通りを南へ、ふさの国に古墳の印があった熊野神社(呼戸遺跡)を目指した。

東関道を渡ったところで急に細道になり、周囲も森と谷戸と田んぼに一変した。

 

途中にこのような枝道も。 

 

奥は深山の雰囲気。

 

道路の反対側には神社境内があった。こちらは香取神社。

Wikipediaの「香取神社」によれば、千葉県香取市の香取神宮を総本社として関東地方を中心として全国に約400社あって主に利根川・江戸川沿いを中心に分布し、その分布圏は10世紀以降に開拓された、元は低湿地だった土地になるそうだ。

 

途中の縄が結界に見えたので、手前から参拝。

 

振り返っての参道。

 

拝殿左には摂社末社。遠くから参拝。

 

熊野神社への道がわからないまま台地下に出てしまった。

 

水が張られた田の先は総武本線。

 

背面の北側には草薮の谷戸。

 

ここで飛行機雲を見る。 

 

一旦引き返して、グーグルマップの示す方に入っていくと文化財のようなお宅があった。

  

その先には道が続いていないようだったので引き返した。最初に見た、深山の雰囲気があった枝道が正解だったようだ。

 

呼戸遺跡を訪ねるのは次の機会として、総武本線を渡って線路沿いに物井駅へ戻ることに。歩き始めると成田エクスプレスが通った。

 

こちらが成田方面の東方向。

 

水田に鉄塔。

 

西方向には古代を偲ばせるような風景。

 

物井駅に近づいていくと、プレートをはずしたバスたちが集っていた。

 

その先で東関道の高架をくぐる。右奥の煙突がある施設は高速からもよく見える四街道市のクリーンセンター。

 

高速をくぐって右側に、別の古墳があると「ふさの国」に示されていたので寄り道することに。正面の台地上あたりがそのようだ。

 

護岸の無い小川を渡る。

 

近づいていくと擁壁が現れた。

 

墳丘があると思われるあたりを。なんとなく墳丘のような稜線が。

 

ふさの国によれば、このあたりに大篠塚西台1号墳(前方後円墳:全長35~42m)と大篠塚西台2号墳(円墳:径30m・高さ4.75m)があるはず。私有地のようだったので、墳丘へ行くことは諦めた。

 

北に面する太田調整池を隔てた遠望。中央やや左に古墳があるはず。

 

調整池の説明板。

 

出発地点の物井駅に戻った。