墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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尾根山古墳群 神奈川県伊勢原市三ノ宮

前回のつづき。

登尾山(とおのやま)古墳から降りた後、山裾を北から西に回りこんで尾根山古墳群を目指した。

 

途中で望む大山方向。山頂はまだ雲の中だが稜線が見えてきた。

 

道沿いにあった関東ふれあいの道の看板。

神奈川県内にある17コースのうちのNo.10になる「太田道灌・日向薬師のみち」で、国道246号坪ノ内バス停から長福寺・三ノ宮比々多神社・上粕谷神社を経て、太田道灌ゆかりの上杉館跡・七人塚そして墓所、それに日本三大薬師のひとつ日向薬師までの全長8.5kmのコースだそう。

検索したらpdfに行き当たった。

http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/833429.pdf

 

ふれあいの道を左にはずれて進む。山の中に清掃工場が見えた。

 

舗装路から右に分岐して坂を上がる。

 

ここは左に分岐。奥の看板には関係者以外の車両通行禁止とあった。

 

グーグルマップに印があるのは、左の斜面上だった。

 

金網のすき間から石組みが見えた。

 

道なりに進んで左に回りこむと、みかん畑の地面が見える位置に来た。

 

右奥に石組みが。

 

ズームで。なかなか大きな石。

 

さらに奥にもそれらしき石が。

博物館でいただいた資料によると、このみかん畑には現在3基が残っているが元は6基程からなる古墳群で、1961~62年に4基が県教育委員会により発掘調査されている。

野石乱積の横穴式石室を持ち、その形(長方形・正方形)や袖の有無など形態はさまざまで、6世紀から7世紀にかけてことなる年代に築造されたことが明らかになっているとのこと。

神奈川県内最大の須恵器や、土師器などの土器類、大刀・鉄鏃、耳環・勾玉・切子玉などが出土している。

 

周囲をパノラマで。中央の道を上ってきて右のネット越しに「観察」した。さらに右側は草木が茂っていたが南への斜面になっていて、下には万松寺があるようだ。

 

振り返っての風景。道は清掃工場まで続いているようだった。この地点でも標高は150mほどになる。

登尾山古墳 いせはら塔の山緑地(展望広場) 神奈川県伊勢原市坪ノ内・三ノ宮

前回のつづき。

埒免古墳の見学後は三之宮郷土博物館に、その素晴らしい副葬品が展示されている登尾山(とおのやま)古墳を目指した。

 

ぶどう畑の斜面を下りてきて、栗原川を渡る。

 

橋のたもとに塞座大神と刻まれた石碑があった。

 

そこにあった「栗原ふれあいの里」のマップ。

周辺には桜やコスモスの名所があり、これから向かう場所はハイキングコースのようだった。

 

グーグルマップの表示を目指して進む。 

 

正面に山が現れた。

 

小さな祠があるところで上り坂に。

 

「展望広場」への分岐。古墳へとつながっているように見えたので行ってみた。けもの除け鈴があったが、ここへ戻らないかも知れないので使わずに。

 

少し急ぎ足になって5分ほど登っていくと、ベンチのある展望台に出た。

 

標高は131.4m。写真には東京スカイツリーや房総半島の富山も示されていた。

 

が、この時そこまでは確認できなかった。

 

展望台の下は緑の斜面。

 

だが、古墳のある方への道は無かったので、鈴のあった分岐まで戻る。

 

分岐から南へ向かう。グーグルマップに道は出るものの、次第に草が繁茂

 

道が見えなくなりそうになってくる。このあたりでクモの巣をかぶった。

この時は5月だったが、6~10月での探訪は難しそう。

 

その先で道を左に曲った右側に石が出ていた。 

 

登尾山古墳と刻まれている(のであろう)石碑が乗っている。

 

石碑のある場所から振り返って。墳丘は標高105mの尾根上に築かれているが眺望は無かった。

 

中に下りて石積みを。

 

パノラマで。

 

左が石碑、右が通ってきた小道。

 

 昭和35年、この”農道”の改修時に偶然石組みが見つかり、神奈川県教育委員会と國學院大學が共同で調査した。関東地方には比較的少ない半地下式の横穴式石室をもつ円墳で、古墳時代後期(6世紀)頃の築造と考えられるそうだ。

 

見事な副葬品は三之宮郷土博物館で見られる(撮影不可)

博物館の解説には、古墳時代後期のステータスシンボルともいうべき銅鏡・銅鋺・装飾大刀・馬具が揃って副葬された例は相模で唯一の例で、相模国造の墳墓とする推定が有力となっているとあった。

http://hibita.jp/museum/collection.shtml

1300年を経てもほとんど錆びていない刀身は一見の価値あり。

 

一見地味な遺跡だが、それがまさにここから出たと思うととても感慨深かった。

 

伊勢原市のサイトにも写真と解説がある。

http://www.city.isehara.kanagawa.jp/bunkazai/docs/2014042300033/

 

帰路は東へ下る小道へ。細い踏み跡を辿った。

 

途中の斜面から見えた相模平野。

 

植えられたように生えていた草。

 

南側の眺め。遠くに高麗山、山裾には東名高速。

 

普通の道になってきた。

 

舗装された道に出て一息つく。表示板には「関東ふれあいの道」とあった。

 

山裾の道を北へ向かっていると、最初に登った展望台が見えた(画面中央)