墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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岩水寺・岩水寺駅 静岡県浜松市浜北区根堅

前回のつづき。 

山から降りてきて最初に見かけたのは岩水寺(がんすいじ)の太鼓橋だった。

橋の先には道はなかったが、後で調べるとお寺のサイトに、地安坊大権現堂(護摩堂)へ続いているが「現在は道を封鎖」していて、「鳥居前で手をお合わせください」とあった。

http://www.gansuiji.jp/ga015.html

 

知らずに将軍塚古墳から(別ルートで)降りてきてしまいました。申し訳ありません。

 

その隣には平成15年に寄進された四天王堂。

 

道を下った駐車場にあった境内図。山中を蛇行する川の両岸にお堂が点在する。

 

四天王堂の近くには木造二階の立派な建物があった。カーテンが閉まっていたが信徒会館か。

 

こちらは薬師根本堂への山門。

 

その先には十一面観音堂白山神社への石段。余力がなかったので鳥居前で参拝。

 

こちらが本堂の地蔵堂。

 

公式サイトによれば、龍宮山岩水寺は高野山真言宗別格本山で、神亀2年(725)に行基が開創。寺宝には行基が刻んだと伝えられる薬師如来(秘仏)がある。

坂上田村麻呂にまつわる伝説があり、東征時に天竜川の龍神が玉袖姫に変身して将軍と恋に落ち、そこで生まれた坂上田村麻呂俊光は後に、母である龍神の魂が刻まれた厄除子安地蔵(本尊・秘仏)を寺に安置したのだそう。本尊が女性(母)の地蔵様ということで昔から”家をまもるは岩水寺”と言われ、家族の幸せを願う多くの参拝者が訪れるとのこと。

http://www.gansuiji.jp/

http://www.gansuiji.jp/tsuite.html

 

おびんずる様がおられたので、いろいろ撫でさせて頂いた。

 

駐車場まで降りてくると鐘楼も。

 

参道の門を出ると平地の住宅地になった。少し先から振り返って。

 

車道沿いにカラオケスナックの大胆な看板があった。2次元の方がよいと思われるが。

 

グーグルマップに従って山住神社から枝道へ。

 

また第二東名の下をくぐる。 

 

するとすぐに天浜線岩水寺駅についた。 

 

自販機の前を過ぎるとすぐにホーム。

 

ホームのベンチの上にだけ屋根がある。

 

電柱は木製。

 

駅前の案内地図を見て、大事なことに気づいた。

 

さきほどの岩水寺の駐車場からほんの200m西に、沖縄以外では日本で唯一の旧石器時代の人骨、浜北人の化石が出た根堅遺跡があったとは!

 

グーグルマップを見ると徒歩で片道11分。一時間に一本の次の便までちょうど往復できる時間はあったが余力がなかった。

 

石灰岩の採掘場であった根堅遺跡では昭和36年に化石人骨が発見され、翌年から東京大学が調査した結果、約1万8000年前のものとわかり「浜北人」と命名された。

現地では化石発見後も石灰岩の採掘が行われたため地形が大きく変わり、遺跡のあった洞窟も失われているが、遺跡の場所を示す標識と解説板が立っているそうだ。

http://www.nihon-kankou.or.jp/shizuoka/detail/22218af2172009211

 

再訪せよとのことでしょう。こちらの「まいーか浜松」に根堅遺跡の様子が複数の写真で紹介されている。

http://www.mai-ca.net/enjoy/tourism/tourismpost_104.php

 

日本列島における旧石器時代の人骨は「ここ」浜北区と沖縄からしか発見されていない。那覇市の山下町第一洞穴遺跡、南城市のサキタリ洞遺跡へ行った際、本州で唯一発掘された場所を見たいと思ったが、それを目の前で見過ごしたとは・・・

 

根堅遺跡のことは忘れて列車待ちを楽しむことにした。

一両なので「列」車ではなく、もちろん電車でもなく、汽車でもなく、気動車。ディーゼル車では駆動の種別のようであるし、などと考えながら。

 

きちんと時刻の合った時計は”居間風”

 

波打つ屋根に木の支柱。

 

シンプルな造りだが国登録有形文化財。

木造平屋建、切妻造、波形スレート葺の建物である。表面は小壁縦板張り。当初は背面・側面の外壁はなく上屋のみで、平成3年に外壁が設けられた。二俣線全通に併せて建設された上屋は、特徴的に造られており、5本の単支柱を利用して、変形のトラスで屋根を支えている。さらなる安全を計り、柱には古レールを仕様した補強が施されている。建設年:昭和15年

 

壁の路線図を見ると、岩水寺駅は掛川から19駅目、新所原からも19駅目で、天浜線のちょうど中間にある駅だった。

今回は宮口駅までしか行かなかったが、路線西半分の奥浜名湖沿いも乗ってみたい。

 

岩水寺駅の誰もいないホームのベンチで待った20分ほどは、豊かで優雅なひとときとして思い出に残った。

 

時刻表にある時間ぴったりにやってきた(動画29秒)


天浜線 岩水寺駅

 

天竜二俣駅を過ぎて転車台のあたりの車窓。

 

一両だけの「列車」の影。

 

田植えの終わった水田。 

 

終点掛川駅。朝ここを出てから10時間経過していた。

 

隣に東海道線、その向こうに新幹線の高架ホーム。

 

JR乗換え口ではなく、天浜線の駅舎から外に出た。

 

駅の周りで居酒屋を探していたときに、月と新幹線を。

つづく。

将軍塚古墳 静岡県浜松市浜北区根堅

前回のつづき。

金刀比羅神社の石段下から目指す古墳をグーグルマップで再入力すると徒歩38分と出た。この日歩く一番長い距離になるので気合を入れて出発。

 

新東名の下で。東方向。

 

グーグルマップで表示されたルートでは人形山古墳へは行けそうになかった。間の谷は小さいので渡れそうだが、その先は道がない急斜面。陽も傾いていたので即断念。

 

OBITOさんのサイトによれば高速沿いの六所神社からアプローチするのが正しかったようだ。が「道らしい道はない」とのことなので「無理せず正解」とした。機会があれば季節を選んでトライしてみたいが。

http://obito1.web.fc2.com/hamakitatenryuu.html

 

上記の写真はこの道の左側を撮っている。

ここからの20数分の歩きが単調な車道の上り道でなかなか応えた。

 

一帯は静岡県立の森林公園になっていてハイキングの数組とすれ違う。丘の上に何ヶ所か駐車場があった。

 

古墳に近づいたところに田村神社。坂上田村麻呂を祀っていて、将軍塚古墳の名前の由来にもなっている。

 

 鳥居から見た南側の景色。

 

樹木が繁っていなければ、天竜川下流域を一望できる場所だった。

 

ズームで。

 

鳥居の前の道沿いに将軍塚古墳の説明板があった。

将軍塚古墳(泉A1号墳)
泉A1号墳は坂上田村麻呂を祀っている祠が山頂にあることから「将軍塚古墳」と俗称されています。
直径14m、高さ2mほどの円墳です。石室の入口は土砂が堆積していますが、全長6.2mの無袖の横穴式石室が開口しています。副葬品は明らかではありませんが、7世紀代につくられたと思われます。
なお、泉山には15基の古墳が確認された他、人形山、高根山など北稜の山々には200基もの古墳が点在していました。
将軍塚古墳は、参道石段を降り突き当たりの道を左に折れて約50m下った右手やや奥にあります。
遠州山辺の道の会

 

説明板の脇に古墳への道。

 

草が生い茂る石段を下っていくと鳥居が現れた。 

 

下から見上げた鳥居。夏になったら藪漕ぎになりそう。

 

鳥居の先で左に折れて草の小道を進む。

 

案内板を発見して一安心。

 

矢印の方向へ落ち葉の斜面を進む。

 

大きな木を回った先に石室が開口していた。膝ぐらいの高さで、気持ち的にここが一番試されたように思われる。

 

小動物などがいないかフラッシュでチェック。 全長6.2mの奥へ向かって下っている。

 

四つんばいになって後ろ向きに入室し、奥壁に向き直って一枚。

フラッシュ点灯時以外は暗闇で、連続では焚けないのでなかなか厳しい。

 

奥壁正面で。

 

さらに奥壁に近づいて右上を。カマドウマ注意報が発令していました。

 

奥壁前から入口方向。入口付近に土砂が積みあがり、手前に下る斜面になっている。

 

しばし暗闇に浸らせていただいた。

 

外に出て開口部を振り返る。

 

墳丘は草が繁っていて形状はよくわからなかった。

 

墳丘あたりから南側。草木を刈れば、平野部の拡がりが見えているはず。

 

草の小道に戻って東へ下る。少し降りて振り返ったところ。

 

その先に鳥居があった。くぐって振り返ったところ。

 

鳥居の先の社は、グーグルマップには「根堅総本社、地安坊大権現堂(護摩堂)」とある。

 

お参りして降りてきた道を振り返る。

 

お堂の先には落ち葉の降り積もった石段がついていた。

 

石段の下の看板。今さら戻ると大変な遠回りになるので慎重に下る。

 

やはり落ち葉の石段。

 

細道になったが車道に出て安堵したところ。ロープが張られていたので通ってはいけないルートだったようだ。

 

上記の位置から左手側に太鼓橋があった。

つづく。