前回のつづき。
「八幡の藪知らず」の斜め前、国道14号から参道が始まる。
国道沿いの御由緒。
参道を横切る京成線。
拝殿までの参道はおよそ280mの一直線。
その途中にある随神門。
平成28年に塗り替えられて鮮やかな朱色をしているが、建立年代は幕末に遡る。
http://www.city.ichikawa.lg.jp/edu09/1521000007.html
蛙股などの細工も見事。
参道の脇にあった市川市中央公民館。平成2年の改築はあるが、昭和27年竣工。
境内へと入る門。
そこから振り返っての随神門。
市川市教育委員会による解説板があった。
葛飾八幡宮
寛平年間(889~898)宇多天皇の勅願によって勧請された社で古来より武神として崇敬されてきました(旧社格は県社)
治承4年(1180)源頼朝は安房国から下総国府へ入ると、自ら参詣して源氏の武運を祈願し、建久年間(1190~1199)には千葉常胤に命じて社殿を修復させたと言われています。
また、文明11年(1479)太田道灌は白井城の千葉孝胤を攻めるため、国府台に築城の際、関東の安泰を願って参拝し、社殿の修理を行いました。更に天正19年(1591)には、徳川家康が社領として朱印52石を寄進しています。
明治維新の神仏分離の時までは、当宮境内には上野東叡山寛永寺の末寺が、別当寺として存在していました。現存する鐘楼は往時を物語る貴重な遺物です。また、山門は仁王像が行徳の徳願寺の山門に移されて、その後に左右両大臣像が置かれ随神門と呼ばれるようになりました。この随神門は市指定有形文化財です。
本殿の東側にそびえる「千本公孫樹」は、天然記念物として国の指定を受け、また、間性年(1793)に発掘された元亨元年(1321)在銘の梵鐘は銘文からも当宮創建の古さがうかがわれます。
当宮の祭礼は9月15日から6日間にわたって行われ、俗に「八幡のぼろ市」と呼ばれる近郷に名高い農具市がたち、一時は関東三大農具市のひとつに数えられました。
2月の初卯祭は湯立神事、御神楽、宮司舞などをもって祭事が進められる特殊神事です。
平成28年3月 市川市教育委員会
拝殿(右)と神楽殿(左)
神楽殿には、幕末に奉納された大絵馬が掲げられている。
拝殿の右側にはイチョウの巨木があった。
「千本公孫樹」は、推定樹齢1200年を超えるという国指定天然記念物。
短く太い幹からモシャモシャと枝が四方に伸びている樹形は、かつて落雷で上部が折れたことによるものと言い伝えられているとのこと。
樹高23m、根回り10.2m、目通り10.8mになるそうだ。
その右側にちょこんと富士塚があった。
ミニマムな造形だが、要素は盛り沢山。
登拝できるようになっていた。
山頂に参拝して振り返ったところ。
裏から見た富士塚。
境内には厳島社など他にも多くの摂社末社や、文化財の梵鐘もある。
源頼朝公の駒どめの石も。