墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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饂飩坂 芋洗坂 朝日神社 東京都港区六本木

六本木交差点の南側の外苑東通りの西側に饂飩坂(うどんざか)がある。

 

上記の位置で振り向くと、外苑東通り。

 

通りの向こう側、ビルの奥には墓地の広がる丹波谷がある。

 

饂飩坂の坂下側の標柱。坂の距離はかなり短い。

 

その説明文。

天明年間末(1788)頃まで松屋伊兵衛という、うどん屋があったために、うどん坂と呼ぶようになった。昔の芋洗坂とまちがうことがある。

 

饂飩坂は坂下で芋洗坂と合流する。

 

合流点から芋洗坂の坂上方向。

 

江戸時代までは、そこから左の枝道が芋洗坂であった。

 

坂上の標柱。

いもあらいざか
正しくは麻布警察署へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以降にできて、こちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。

 

坂上から見た芋洗坂。

 

その背面は六本木交差点、かつてのアマンド前。

 

饂飩坂との合流点から坂下側。右端の鳥居は朝日神社。

 

朝日神社はビルの谷間にある。 

 

露地のような参道だが、清々しい気配を感じた。

 

こちらの方のブログによれば、このあたりは六本木の高台から古川に向かう谷の一つで、日当たりが良く古くから人が住み、数十m南の六本木中学校付近には道灌山と呼ばれる円形古墳らしき丘があったようだ(スマホでは文字化けに…)

http://azabusaiken.ttcbn.net/machi/kitahigakubo.html

 

拝殿前から振り返って。奉納された提灯には著名な方の名前があった。

 

Wikipediaの「芋洗坂」には坂名の由来として朝日神社の前で芋が売られていたため、という説も紹介されていた。さらには下記の「疱瘡の治癒を、寺社の水で洗って祈願した」説も。

一方、古来「芋(いも)」と言えばあばた・疱瘡(痘瘡)のことも表し、「いもあらい」とは疱瘡(天然痘)に罹患した際に神仏に祈願し、お水で洗うことであった。すなわち、各所にみられる「芋洗坂」とは疱瘡神の傍の坂道であり、当地においても寛文年間や寛延年間の地図で坂沿いに見られる法典寺の弁財天が「いもあらい」の祈念が行われ、それが名称の起源であるとの解釈もされる。坂に現存する朝日稲荷は「いもあらい稲荷」ではなく、すなわち疱瘡神とは考えられていない。

 

御茶ノ水駅近くの「一口(いもあらい)太田姫神社」へは昨年春に訪ねた。

 

芋洗坂にもどって坂を下る。左側は崖になっており、上部との連絡路はずっと見当たらなかった。

 

途中で振り返って。崖の前にはビルが並ぶ。道のカーブに呼応した優美なビルがあった。

 

さらに下ると、ストライプハウスギャラリー。2000年まではストライプハウス美術館という名前だった。

 

裏の崖上は、グーグルマップには日本銀行鳥居坂分館とある。

 

その先の右手には「水産経済新聞社」の建物が存在感を示す。

坂は都道319号線の大通りに出る。左(東)に回り込んで鳥居坂を目指した。 

桜坂 道源寺坂 東京都港区赤坂・六本木

以前に撮った、坂の写真が溜まってしまったので数回に分けてエントリします。訪ねた時期は昨年夏から秋にかけてです(冬も)

 

まずは赤坂の桜坂。六本木アークヒルズ・ANAインターコンチネンタルホテルの敷地の北縁になる。六本木通り側の上り口。南北線の溜池山王駅の出入口のそば。

 

福山雅治の歌にある桜坂は大田区にある。 

 

花の時期でも紅葉の時期でもなかったですが。

 

標柱の説明。

さくらざか
明治中期に新しく作られた道筋で、坂下に戦災まで大きな桜の木があったことからこの名が付いた。

 

都心だが閑静なエリア。

 

ビルに入居するのは大使館。これらの国同士は仲がいいのだろう。

 

突き当たって右へ。

 

振り返って、大使館が入るビルを(右側)

 

途中、左側にホテルオークラ(工事中)方向へ向かう道を横目に見ながら。

 

桜並木は続く。

 

陸橋をくぐって振り返ったところ。

 

陸橋に上がって、来た方向を。花の時期に再訪したい。

 

陸橋の上からは屋上庭園に入れるようになっていた(が、時期的に花はなかった)

 

陸橋の道をそのまま進むと、スペイン坂に突き当たる。坂は六本木通りへ降りていく。

 

下り勾配11%。ここも桜のトンネルになる。

 

坂上の一画に神社があった。

 

一願地蔵尊とあった。

 

確かに、ここでお花見をすると境内を専有することになってしまう。

 

一願地蔵尊の南側の小路を進むと、道源寺坂があった。

 

道路標識は、この先福員1.3mとあった。

 

標柱の説明。

どうげんじざか
江戸時代のはじめから坂の上に道源寺があった。その寺名にちなんで道源寺坂または道源坂と呼んでいた。

 

道の真ん中に木が。

 

木を回り込むように斜面がついているが、さすがに4輪は通れない。

 

上記の右の石段は道源寺の山門へ続いていた。

 

山門前から見下ろす道源寺坂。曲り具合が古道の風情。

 

坂の途中から振り返って。

 

さらに下って振り返って。

 

さらに下ると坂下にも標柱があった。

 

そこはもう地下鉄の出入口(南北線の六本木一丁目駅)

一駅歩きにおすすめのルートです。