墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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関東鉄道竜ヶ崎線 竜ヶ崎駅 薬師堂 団子塚(古墳) 茨城県龍ヶ崎市馴馬町・北方町

前回のつづき。

龍ヶ崎市に来るのは初めてだったので、関東鉄道・竜ヶ崎駅にも立ち寄った。

明治33年(1900)に開業した、常磐線佐貫駅との4.5kmを結ぶ私鉄・旧竜崎鉄道の終着駅。

 

ICカードのタッチパネルはあるが、人が立つ改札ボックスが残る。

 

ここを入れて3駅しかないが、JRとの連絡運賃が記載される運賃表。

東京駅から品川駅までが一つの駅のようにくくられているのが面白かった。

 

待合室もある駅舎。

 

外から見るとローカル色が強い。隣接する学生服の店の方が大きかった。

 

上記の背面側には留置線に車両が停まっていた。竜ヶ崎線は1両編成の気動車。

 

その横ではアスファルトを敷く工事中。

 

その先に別の留置線。

 

 車止めがもう一つ?

 

1914年(大正3年)ごろからずっと使われてきたカマボコ屋根の客車庫が、撤去されたばかりだったことを後から知った。

https://tetsudo-ch.com/19459.html

 

竜ヶ崎駅前、道を挟んだ向かいに薬師堂があった。

 

説明板は見当たらなかったが、大きくて立派な建物だった。

 

あとで調べていて、かつて駅のちかくにあった赤煉瓦門が駅前通りの八坂神社のそばに移築復元されていたことを知った。機会があれば再訪したい。

http://akarenga-hozon.org/

 

帰り道、県道4号(団子塚通り)を南に向かう。

団子塚という名が気になったので、マップ上にある団子塚の近くに行ってみた。

それは茨城県立竜ヶ崎南高校の校門のすぐ近くあった。

 

歩道沿いにあった団子塚祭りの説明板。

塚の由来はわからなかったが、宝暦年間から続く「歩射行事」について記されていた。

 

深い草むらの向こうに道があったが注連縄が。

 

ズームで。

後で「いばらぎデジタルマップ」で調べると、ここは団子塚古墳・円墳と記されていた。現況の項は山林。

グーグルマップには墳頂にあると思われる小さな祠(吾妻神社)の写真が載っていた。

以上で龍ヶ崎シリーズ終了です。

 

龍ケ崎という地名の由来は市のサイトに、竜巻が多い土地柄だったから、龍が降ってきた地の先にあるから、町の形が龍を思わせるから、龍崎氏が治めていたから、という4つの説が紹介されていた。

最初の竜巻説は、龍ケ崎の地が毛野川(鬼怒川)・蚕飼川(小貝川)・常陸川などの河川が合流する葦原で竜巻がよく起こり、水を巻き上げるその様子が昇竜に見えたからというもの。
鉄道の時代の前は、古代から続く交通の要衝であったことも想像できて興味深かった。

http://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/kankokyokai/info/2013091801256/

桜山古墳跡 茨城県龍ヶ崎市白羽

前回のつづき。

八代町の冨士浅間神社を参拝した後、東に2kmほどの場所にあると思われた桜山古墳を目指した。

 

龍ヶ崎市歴史民俗資料館で購入した図録に立派な墳丘の写真があったので。 

 

こちらがその写真。

図録では現況がどうなっているかは、わからなかった。

竜ヶ崎ニュータウンは1970年代末に開発が始まっているが、この白羽地域は最後に開発されたエリアとのこと(Wikipediaより)

削平されて宅地になっていたら跡地もわからなかっただろうが、写真左下に墓地が写っているのでそれを頼りに探してみた。

 

斜面にある墓地の下に広い駐車場があった。

 

小さな薬師堂もある。

 

駐車場の南方向。

 

墓地側に少し上がった位置から。

 

図録写真の左下を見ると、上の写真の右側に写っている寄棟屋根があって道路の形も一致するので、かつては上記の正面に桜山古墳(前方後円墳)があったのだと思われる。

上記の段階ですでに周りを住宅で囲まれているので、そのまま残してほしかった・・・ 

 

今は更地のようなので、特にそう感じた。

 

 図録にあった桜山古墳墳形想定図。

 

墓地敷地の西辺。南に向かって緩く傾斜する。 

 

墓地には庚申塔が集められた場所があった。

 

墓地の斜面上側に公園があった。

 

東屋から南を眺めると、田んぼの地平線が広がっていた。

薄目で想像力ARを駆使して(?)古代人の気分になってみた。

 

あとで「いばらぎデジタルマップ」で調べたら地図上に記しがあり、桜山古墳:平成2年発掘調査済み・湮滅(えんめつ)と記されていた。