墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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学習院旧正門 東京都新宿区戸山

前回のつづき。

「のぞき坂」を降りて、西に70mほどで都電荒川線の「学習院下」

そこから坂を下り神田川に架かる鉄橋を越えて新目白通りとの交差点で90度曲るところから北方向。

奥でサンシャイン60を隠すように聳えているのは、一昨年完成した49階建ての「ブリリアタワー池袋」。下層階には豊島区本庁舎が入っている。

 

早稲田側から来た車両。遮断機の無い踏み切り。 

 

このときは新目白通りを渡って明治通りを南へ歩いてみた。

最初は上り坂になる。早稲田通りとの交差点が近づくあたりで、激しいモジャハウスがあった。「アイオー mini pub」は19時からの営業とあった。

 

その先では赤提灯の店が隣り合っていた。

 

早稲田通りとの交差点「馬場口」は人通りが多かった。

 

角地には印章屋さんと花屋さんが同居するモダンな建物。

 

さまざまな店舗が入居する細長いビルがあった。

 

一面黒壁のマツダのディーラー。

 

明治通りに面しているのにローカルな雰囲気の枝道。

 

諏訪町の交差点で標高が最も高くなった。角には新宿消防署戸塚出張所。

 

歩道の幅が広くなる。右側には西早稲田中学校、都立戸山高校、学習院女子校など学校が集中している。

 

対岸には「毎日新聞社早稲田別館」という堂々としたビルがあった。

 

そしてこちらが散歩の目的地だった重要文化財の学習院旧正門。

鋳鉄製で明治10年(1877)に建てられている。

 

学習院女子大学、学習院女子中・高の正門として今も現役として使われている。

 

説明板があった。川口の鋳物工場で製作されたとのこと。

重要文化財 学習院正門
昭和48年(1973)6月2日 文部大臣指定
所在地:新宿区戸山3-20-1
所有者:学校法人 学習院
この鋳鉄製の門は、はじめ明治10年(1877)に学習院が神田錦町に開かれた時、正門として建てられた。
製作は埼玉県川口市の鋳物工場で、唐草文様をあしらった和洋折衷の鉄門は、明治初期の文明開化時の様式と技術を伝える貴重な文化財である。
神田錦町の学習院校舎が明治19年(1886)焼失したあと、この門は各所を転々としたが、昭和5年(1930)目白の本院構内にもどり、その後昭和25年(1950)にこの地に移され、現在、学習院女子大学・学習院女子高等科・学習院女子中等科の正門として使用されている。
平成16年(2004)4月 学校法人 学習院

 

道を隔てて戸山公園の緑が顔を出していた。早稲田通りの東側の広い方の戸山公園には以前行ったが、西側にも続いていたとは知らなかった。

左側・公園の南側は早稲田大学理工学部のキャンパスになる。

のぞき坂 東京都豊島区高田

前回エントリの宿坂の一本西に並行する「のぞき坂」は、”FUJIYAMA”級(?)のダイナミックな坂だった。

 

目白通り、千登世橋から一本東の枝道が坂上になる。

 

先が見えず、思わず足早になった。

 

一直線に気持ちよく下っていた。

 

目線の低くすると見えなくなる。

 

自転車は下る前にブレーキの点検が必要。

 

傾きを撮ろうと思ったが街灯が垂直ではないことに後で気づいた。

 

坂の左右に建つマンション。

 

電動自転車の方も押していた。

 

突如現れるバイク。

 

勾配は22%。12.4度。

 

遠望で。左はマンション。右は区立高南小学校。

 

通学路だったら毎日鍛えられる。

 

その先は小道になった。

 

神田川に行き当たって遊歩道を上流方向へ。

 

桜が見事な散歩道。

 

都電の線路で人も行き止まりだった。