墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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伊勢塚古墳 群馬県藤岡市上落合字岡

前回のつづき。

伊勢塚古墳は七神輿山古墳の展示館から北に300mほどの位置、セーブオンの裏手にある。暑くなって来たので冷たい飲み物を購入。

 

店の裏の畑の先に古墳はあった。

 

県指定史跡の石碑があった。

 

現地説明板。

県指定史跡 伊勢塚古墳
所在地:藤岡市上落合字岡318番地ほか
所有者:藤岡市
本墳は当初、円墳と考えられていたが、昭和62年度の範囲確認調査により直径27.2m、高さ6mの二段に築かれた不正八角形墳と考えられる。内部構造は羨道、玄室からなる両袖型横穴式石室で、大きさは8.9mである。
石室の石積みに特徴がある。玄室は流麗な曲線を描く胴張りプランで、模様積み(珪岩質の転石を中心に片岩製の棒状の石を配する)と称される独特な石積み技法で、ドーム状の構造になっている。また、擬似楣(ぎじまぐさ)も架設されている。出土遺物に須恵器、埴輪などがある。6世紀後半に造られたものと考えられる。
平成6年12月25日 群馬県教育委員会 藤岡市教育委員会 

 

七神山古墳の展示施設にあった伊勢塚古墳の説明パネルでは、墳形が「多角形+円形」と記されていた(下記)

伊勢塚古墳

古墳は、鏑川と鮎川に形成された河岸段丘上で、南には七輿山古墳があります。3回にわたる調査の結果、墳丘は径27.2m、高さ6mの4段につくられた古墳で、葺石、周溝、埴輪が確認されています。平面形は墳丘の最下段が多角形で、2段目から上は円形を呈しています。
南に開口する両袖型の横穴式石室は、全長8.94m、玄室長4.7m、玄室奥壁幅1.84m、同中幅2.41m、同前幅1.54m、羨道長4.24mの大きさで、玄室・羨道の中央部に最大幅をもつ胴張型を呈しています。石室の積み方に特徴があり、側壁が珪岩と細長い片岩を組み合わせた模様積で、船底のように丸みをもった大きな天井石をドーム状の壁体で支えています。墳丘から出土した須恵器や埴輪から6世紀後半につくられた古墳です。

 

南向きに開口する石室。 

 

河原石が積まれた羨道を進み頭をかがめて入らせていただく(かがんで撮影) 

 

石室内部。前回来た時は中は暗闇だったが、今回は羨道で反射した光が入っていたので明かりがなくとも観察できた(こちらもしゃがんで撮影)

 

フラッシュで。

 

左側の壁面。

 

右側の壁面。手に入る素材で出来る得る限りの見事な「模様積み」

 

奥壁から入口側。

 

フラッシュで(立って撮影) 

 

フラッシュオフで。

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入口の上部。

 

隅の部分。

 

 羨道の先に七輿山古墳が望めた。

 

外へ出て振り返ったところ。すぐ上に椿があった。

 

墳頂にあった祠(?)の跡

 

墳頂から西方向。南は樹木が茂って眺めはなかった。

つづく。

白石稲荷山古墳 群馬県藤岡市白石

前回のつづき。

藤岡歴史館見学後、南側に立地する白石稲荷山古墳の花咲く墳頂を目指して歩く。傾斜道を一旦降りて再び上がるところ。

 

坂を上がった先は少し地面が膨らんでいる。

墳頂の説明板に白石稲荷山古墳の陪塚(ばいちょう)として言及され、藤岡歴史館の古墳群復元図に位置が記されていたが、この場所にもかつて2基の古墳があった。

十二天塚古墳と十二天塚北古墳で藤岡歴史館に以下の解説があった。

十二天塚古墳は長軸36.8m、短軸26.8m、高さ2.6mの長方形を呈し、墳丘に葺石と埴輪列が巡っています。十二天塚北古墳は、長軸23m、短軸22m、高さ2.2mの方墳で、墳丘中央やや東よりに竪穴式の礫槨が確認されています。礫槨は、長さ3.02m、幅1.5mの大きさで、底面に砂利を敷き、其の上に細長い河原石を石枕のように設置していました。埋葬施設の外側から滑石製の紡錘車・勾玉・管玉・白玉などが出土しています。

昇寛さんのサイトでも紹介されている。

藤岡市十二天塚古墳、十二天塚北古墳 » 埼群古墳館

 

白石稲荷山古墳へは後円部の先端から近づいて行った。

 

端から見上げる後円部。

 

桜の下の道を上る。

 

桜の下にはスミレの群落もあった。

 

墳頂の様子。

 

記念碑のすぐ後ろの桜はすっかり散っていた。

 

墳頂の説明板。

国指定史跡 白石稲荷山古墳
所在地:藤岡市白石1365ほか
所有者:飯玉神社ほか
鮎川左岸の上位段丘面東端に占地する前方後円墳である。大きさは全長175m、後円部径92m、くびれ部幅50m、前方部幅約148m、後円部高13.5m、前方部高6mである。昭和8年の調査で、墳頂部から東槨(全長8.2m、幅90cm)、西槨(全長5.3m、幅40cm)の二つの竪穴式礫槨が確認されている。出土遺物は鏡、直刀、装飾品類、石製模造品~石枕・刀子・案・杵・坩・箕・釧・勾玉・屐(げた)などの他、家、短甲などの埴輪がある。
本墳は十二天古墳や十二天塚北古墳を陪塚とし、5世紀前半に造られた東日本を代表する古墳の一つで、豊富な副葬品から当時の生活文化を考える上で極めて重要である。
藤岡市教育委員会

 

藤岡歴史館の解説では、墳丘は三段に造られ、上段と中段の斜面には葺石が巡り、各段の平坦面には埴輪列が巡っているともあった。

 

後円部から北側。

 

前方部は平坦で、形状は把握しにくかった。

 

前方部の端と思われる場所から。 

 

そこから振り返ると秩父方面の山並みが見える。

 

グーグルアースでは、前方部の左裾はこの小道にかかっているようにも見えた。

 

ゆったりした波のような墳丘。

 

側面をパノラマで。 

 

墳頂の桜をズーム。 

 

その下では花吹雪が舞っていた。

つづく。