墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

岡銚子塚古墳 山梨県笛吹市八代町岡

前回のつづき。

岡銚子塚古墳は4年前に甲斐銚子塚古墳をエントリした際に、"山梨の若おじさん"から薦められた場所。

墳丘は、きれいに整備された笛吹市八代ふるさと公園内にあった。無料の駐車場も完備。

 

グーグルアースで。前方後円の形が明確にわかる。

 

沢山の人で賑っていた。 

 

後円部についた階段を上る。

 

笛吹川左岸、標高425mの曾根丘陵東端に位置し甲府盆地を一望できる。素晴らしい眺め。

 

岡銚子塚古墳から見た竜塚古墳。

その奥の北岳方向は山頂付近に雲がかかっていたが、白銀の山肌がよく見えた。

 

後円部墳頂には木棺の位置が示されていた。 

 

 後円部から前方部。

 

前方部から後円部。

 

前方部の麓に説明板があった。

県指定 史跡 岡・銚子塚古墳
昭和63年5月12日指定
この古墳は、山梨県でも有数の規模を誇る前方後円墳で、周囲に壕がめぐり、墳丘に埴輪が樹立されていた。この古墳が造られた時は、墳丘の斜面全体が石で覆われていたと発掘調査の結果考えられる。遺体を納めた主体部は、後円部の墳頂にあり、丸太を縦に割ってくりぬき、それを合わせた棺の周囲を粘土で包んだ、いわゆる粘土槨である。江戸時代の宝暦13年(1763)に発掘された際に副葬品として銅鏡や鉄刀・玉類・鉄斧などが発見された記録がある。現在は、発掘調査によって発見された鉄剣や鉄刀・鉄鏃・埴輪片を町教育委員会が保管している。
この古墳は、副葬品・埴輪などから4世紀後葉に造られたこの地域周辺の支配者層の墓と考えられ、甲斐の古代史を解明するうえで欠くことのできない貴重な資料である。
<規模>
全長:92m、後円部径:48m、同高さ7.5m、前方部幅41m、同高さ4m
平成6年10月 山梨県教育委員会 八代町教育委員会

 

岡銚子塚古墳 - Wikipediaによれば、甲府盆地南縁の曽根丘陵には県内最古の古墳時代前期(4世紀中頃)の小平沢古墳があり、続いて4世紀後半にはヤマト王権の影響を受けた甲斐銚子塚古墳が出現する。甲斐銚子塚古墳より若干新しいと推定される岡銚子塚古墳だが、両者には墳形や副葬品・埴輪の形式に類似性があり、隣り合うエリアで盟友関係があったとも考えられているそうだ。

5世紀代にそれらの勢力は衰退して古墳の築造は盆地各地へ、中小規模となって拡散したとのこと。

 

盃塚古墳の墳丘から見た岡銚子塚古墳。 

 

前方部の左裾から。

此の墳丘でドラマ「逃げ恥」第3話の叫ぶシーンのロケがあったと後で知った(ドラマを見てはいなかったが話題として)

 

前方部の右裾から。墳丘は斜面に築かれているので北側から見るほうが背が高い。

 

後円部の先端側から。斜面にあることがわかりやすい。墳丘は斜面を一部削りだして造られている。

 

一回りして少し人が少なくなった墳丘。

写真の右側、前方部右裾の先には盃塚古墳がある。

つづく。 

竜塚古墳 山梨県笛吹市八代町米倉

前回のつづき。

加牟那塚古墳見学後は甲府盆地の南辺へ向かった。県下最大の甲斐銚子塚古墳(全長169m、前方後円墳)へは2013年夏に訪ねたことがあったので今回は時間の関係で立ち寄らず、そこから5kmほど東の3つの古墳へ向かった。

 

ナビに導かれて進んでいくと、桃畑に囲まれるように古墳があった(道路の先の右側)

 

墳丘をズームで。

 

西側には南アルプス。 

 

まさに桃源郷。

 

こちらは白い花。

 

 北西方向は吸い込まれるような眺め。右奥は八ヶ岳。左は南アルプス。

 

芝生を貼られた墳丘があった。説明文によれば、もとは上段が葺石で覆われていたそうだ。

 

現地の説明板。かなり色あせていた。

山梨県指定史跡 竜塚古墳(りゅうづかこふん)
竜塚古墳は、5世紀前半に造られた方墳(四角い古墳)です。墳丘の大きさは一辺約56mで、高さは7.4mあります。墳丘は幅約3mの平坦面(テラス)を挟んで2段に分かれています。上段は斜面全体が葺石で整然と覆われていますが、下段は土を盛りあげたままの状態でした。墳丘の周囲には幅約10mの周溝が廻っています。
被葬者は木棺に入れられ、墳頂に掘られた長方形の墓坑の中に埋葬されました。遺物は墳頂や周溝の中から土師器が数点出土していますが、副葬品と考えられるものは見つかっていません。
この古墳は、甲府盆地を一望できる丘陵上に立地しています。谷を隔てた東側の丘陵上には4世紀後半に造られた前方後円墳の岡・銚子塚古墳があります。竜塚古墳の被葬者は、岡・銚子塚古墳に葬られた豪族の後継者であったと考えられています。
山梨県内で築造当時に近い墳丘を残す方墳は竜塚古墳だけで、一辺56mという大きさは県内の古墳の中で7番目になります。東日本全体でも56mを超えるような方墳は少なく、竜塚古墳は古墳時代前半期(3~5世紀)に造られた方墳の中では最大規模の古墳です。
平成22年3月 笛吹市教育委員会

 

この日の午前中に訪ねた、古墳時代後期の横穴式石室を持つ古墳とは異なり、古墳時代前期の「墳頂に掘られた長方形の墓坑の中に埋葬」する竪穴式なので、石室を見ることはできない。

 

古墳の景観を回復する工事が進行中。「狐の巣穴の埋め戻し」作業も。

 

芝生養生中の部分を避けて、墳丘に上がらせていただいた。

 

平坦で広い墳頂。祠は養生エリアの中にあった。

 

南側の眺め。富士山は山蔭に入って見えない。

 

西側、墳丘からの南アルプス。

 

北西側の眺め。

 

東側の眺め。

 

南東側には次の目的地、岡銚子塚古墳の墳丘を認識できた。

 

その左をズームすると、桜が覆いかぶさるような盃塚古墳。

つづく。